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東京高等裁判所 昭和44年(う)2067号 判決 1970年2月24日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

(控訴趣意)

弁護人木戸和喜男、同木戸光男連名の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

所論は、被告人は、過失により道路交通法七〇条所定の安全運転の義務に違反した、との事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ないし法令の解釈適用の誤りがある、と主張し、詳細にその理由を開陳する。

しかし、原判決挙示の各関係証拠に、当審における検証の結果をも総合すると、原判決が認定判示する被告人の過失による安全運転義務違反の事実を優に肯認できる。すなわち、右各証拠によると、被告人は、原判示日時ころ、普通貨物自動車(車長約四・六九メートル、車幅約一・六九メートルで、正確にいえば小型四輪貨物自動車であり、所論にいうような普通乗用貨物自動車ではない。)を運転し、原判示の、通称西川口陸橋上の幅員約九・六〇メートルの取付道路を川口市並木町方面から同市仁志町方面に向かい、時速約三五キロメートルで西進し、右取付道路とその左右(南北)両側に、それぞれこれと平行して走る幅員各約六・二〇メートルの道路とが東西約四三メートルにわたつて交わる原判示の交通整理の行なわれていない変形交差点を右側道路へ右折進入しようとした。そして、同交差点で、右のように右折するには、いわゆるUターンをする形でその右側道路に進入することになるから、車両の車軸を中心としほぼ一八〇度の角度をとつて右折する必要があつた。被告人は、右陸橋西側出口(すなわち、交差点入口)から約七~八〇メートル手前の地点で、右折の合図はしたが、別段道路の中央に寄ることなく、センターラインより左方約一メートルのあたりを直進し、速度を約二〇キロメートルくらいに落しながら右出口から約十数メートル手前の地点に達した際、かねてこれより先、後方から進行してくるのに気がついていた米沢延治運転の小型四輪貨物自動車(車長約四・三三メートル、車幅約一・六九メートル。)が、自車の右斜後方約十数メートル付近に、かなりの高速度(右速度は、米沢車の、本件現場に印されたスリツプ痕の長さ等からすれば、四五キロメートル毎時前後と推認される。)で接近しつつあるのを認めた。したがつて、このような後続車両の状況を認識し、当時右車両以外には他の車両等の通行も格別認められなかつた交通状況のもとで(ただし、原判決が、右陸橋の右方へのゆるやかなカーブと、その両側に設置されている欄干との関係から陸橋の出口がかなりせばまつて見え、「先行する車両が、たとえ道路中央線付近を進行していたとしても、その左側を通常の速度で通過することはかなり困難であると予想される道路状況にある。」と判示している点は、当審における検証の結果等に徴すれば、必ずしもこれを肯定できないことは、所論の指摘するとおりであるが、右は、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるとまではいえない。)、前記のような変形交差点を右側道路へほぼ一八〇度の角度で右折しようとするばあいには、原判決のいうように、「その速度とハンドル操作とに技術上の困難を伴うことが予想される右折である。」かどうかは別として、少なくとも自動車の運転者としては、すでに自車に追いつき追い抜こうとする態勢をとつていることが看取される後続車の動向に十分注意し、道路の幅員が約二二メートルまで広くなつている右交差点内の適宜の箇所でこれをやりすごし、その通過をまつて自車を右折するなどして、その後続車との衝突による危険の発生を未然に防止し、もつて、道路、交通および関係車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような方法で運転すべき注意義務がある、と解するのが相当である。ところが被告人は、右所要の措置をとらず、後続接近してくる前記米沢運転の車両が自車の右側付近に到達する前に右折し終れるものと速断し、右交差点入口(陸橋西側出口)からわずか二・一〇メートルばかり同交差点内に進入した地点で右折を開始し、米沢車の進路直前に進出したため、被告人車との衝突を避けようとして急ブレーキを踏みつつ、とつさに右へ避譲の措置を講じた右米沢車の左前部に自車右側後部ドア付近を衝突させたことが認められるから、これによると、被告人が、前記過失により、道路交通法七〇条所定の、いわゆる安全運転の義務に違反したものといわざるを得ない。

所論は、被告人の原審公判における供述を援用し、当時被告人車は、本件道路のセンターラインに寄つて進行し、前記米沢車は、高速度で被告人車のまうしろに追随してきており、そのまま運転していれば、追突を避けられない状態にあつたのであるから、被告人に対し、原判決が認定判示するように本件交差点内で後続車が被告人車の左側を通過できる余地があるまで前進してから右折を開始するとか、後続車の通過をまつて右折するとかいう余地もなく、またそのような義務を課するのは妥当でないという。しかし、当時、被告人車が本件道路のセンターライン寄りを進行し、米沢車が被告人車のまうしろに追随していたとすれば、被告人がハンドルを右切することによつて、かえつて米沢車の進路はあくわけであるから、米沢としては、ことさらに被告人車の後を追つて自車のハンドルを右切する必要は少しもないわけであつて、この点について、被告人の供述を、他の関係証拠とも対比し、できる限り詳細に検討してみたが、所論にそうような心証をひくに足る説得力を見出すことができない。したがつて、右所論は、その前提事実を欠くことになり、これを採用することができない。また所論は、前記米沢側の過失を列挙し、原判決の判示した、信頼の原則に関する判断を批判して、被告人には責任がない旨主張する。しかし、なるほど、右米沢の側にも、被告人がした右折の合図の見落し、あるいは、本件交差点内に進入する際の速度の出し過ぎ(ただし所論は、本件現場における制限速度が四〇キロメートルである、としているようであるが、司法警察員作成の実況見分調書の記載によれば、本件道路上には所論の指摘するような公安委員会の指定する速度の制限はないようであり、また、道路交通法施行令一一条による最高速度も、四〇キロメートルではない。)などの点において、落度があつたことは、証拠上これを認め得るにしても(所論の指摘する交差点における追越しの点は、米沢車は、被告人車を追抜き交差点を直進しようとしたものであり、交差点で被告人車を追越そうとしたものでないことが証拠上明らかであるから、これを追越しとして同人に過失があるとする所論は、当を得ない。)、このことは、量刑の事情として考慮されるのはともかく、これがため、被告人の刑責に消長を来たすすじあいではなく、また、前段に述べたような事実関係を前提として考えれば、信頼の原則に関する原判決の判断が誤りである、とはいえない。したがつて、右所論も妥当でない。

以上の次第で、原判決には所論のような事実の誤認ないし法令の解釈適用の誤りは存せず、論旨は理由がない。

よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

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